SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語


    晩 年
   
  色々な大っかこっばっかり云うたりしたりで、ちっとん尻の締らんこつばっかりしよんなさった が、お父っちゃまも若か時ゃ勉強ずきでまた高等工業に行こでちしよんなさったが、お祖父っちゃ まの早死で、出来じゃった。趣味も漢詩てんの古るかとこから、あのころの土井晩翆の詩てん、 新らしかつも好いてよう読みょんなさった。

本もそっで良か新刊書の出たりすると金文堂へんがすぐ持って来たりしよったもんの。そりがお 祖父っちゃまのおんなさらんごつなってから、威張り出して、だんだん大っかこつばっかり云う、 お酒呑みはひどうなるし、仕事はしとうなし、銅山始めて、しくじんなさってから、山ブローカー てん仕事師のごたっととのつき合いの多なってからは、あたしが本読むとも、子供たち、学校の 本以外の本読ますっとも、嫌うごつなってしもて、子供に良か読物じゃけんち本どん買うて来っ と叱ったり、ひき破ったりするごつなってしまいなさった。生意気になるち云うて・・。

性格も貧すりゃ鈍するち云うが、ほんに変ってしもとんなさった。後にゃまたそげなふうで生活 も落ちついたけんじゃろ、性格もちっとヅツ良うなって来よんなさった、人の信用も出けて来て、 町の世話役てん民生委員てんどんさせられとんなさった。

  土台ゃ、正直ですらごつの云えん、気の小ーまか性質じゃったもん、そりが反対に出て大っかこ つ云うたりしたりして、偉らぶったりしなさるもんじゃけん、いかじゃったったい。

  初手の無茶苦茶生活が祟ったっじゃろの、両親も八十越しなさってからじゃったし、お兄さんも 九十四にもなって元気でおんなさるとに、早よ弱ってしもて、昭和二十五年の十月に糖尿病が元 で、萎縮腎てん、心臓てんで、逝ってしまいなさった。

腫れとんなさったつの腫れの引いたけん、竹田津先生の、用心しとかにゃ近か内ばいちあたしど んにゃ知らせとんなさったが、自分な腫れの引いたけん、もうようなるけん、あと一週間もすりゃ、 魚釣り行こじゃんのちどん、釣仲間の人に前の日話しとんなさったげなたい。翌朝眠ったまま心 臓麻痺で死んなさった、苦しかふうもなかったごたった。

  あたしも七十ん年、また悪うして、そんときも心臓ん止まったげなばってん、竹田津先生達の二 人連れで一所懸命してやんなさったけん、おかげでまた生き返って、こげんして、八十八才まで ん生きっとるが、子供ん時から、お医者さんの"けしねがめ"てんなんてんち云われよった弱虫の あたしが今迄ん生きのびゅうちゃ思うてん見じゃった。

山本でん、岡野でん、佐々でん、女学校の仲好し組でん、あたしが連れの親しかったお方達ゃ、 もうみーんな逝ってしまいなさって、あたしだけになったが、あちらこちらのお蔭ちゃ云いなが ら不思議でならんたい。

  そりに子供達も一番大事な時に、そげなふうで、学資もろくに出してやれん始末で、自分じゃ一 所懸命したつもりじゃあったばってん。あちらこちら世間の善意のおかげで、子供も、今日の基 礎の出けたごたるふうで、その子供のおかげで、こげんしとらるるちゃ、ほんに世間の善意ちゃ 有難かこったいの。

  ほんに考えて見ると、元通りじゃったなら、世間の辛さも、ありがたさも何もわからんで、世の 中は自分一人のカでばし行かるるごつ思い上って、フンち云うごたるあの苦労したこつのなか者 の待っとる気持で、一生過して仕舞うたこつじゃろち思うたい。

  そげな風で、ほんに恒も苦労もし勉強もしつろばってん、思うて見ると、恒ちゃ運の良かったっ たい。運の良かてん何てん無かち云うもんもあるばってん、一人二人、何人でんのカででんどう するこつも出けん、人のカの及ばんこつんあって、世の流れんごたる、めぐりあわせんごたるも んの、たしかにあるち思うたい。

運の良かもんな、不幸ち思うとったこつが幸の元になって行くし、運の悪かもんな、幸ち思はれ たこつが不幸の原因になったりして行って。めんめんが、一所懸命かねてしとかんと、運の向い て来た時そりば掴めんち云うこつはあろばってん、運ちゃ人の努力、不努力にゃかかわらんもんの。

  人間の世の中ちゃほんにわからんもんばい。
― 終 ―


前のお話へ  戻る      次へ  次のお話へ