SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
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刀研ぎ | ||
とにかくうちも、いよいよ売ろうち云うたっちゃ売る物もなし、借ろうち云うたっちゃ、抵当 に入るゝもんも、保証人に立って呉るゝ人も、なかごつなって仕舞うたりゃ、ようようお父っ ちゃまも、一儲け根性ば捨てなさったごたるふうで、「俺ぁ刀研ぎしう」ち云い出しなさった。 初手、うちの刀ば売り払うとき、刀研屋さんに来て貰うて、研いで貰うたこつんあった頃、お 父っちゃまも何じゃりまぜくりどんして、自分も研ぎ真似どんしよんなさったが、ブラブラし よんなさった頃、小頭町の研師の井上さん方へんにどん行ったりしよんなさったふうじゃん。 その人達のすすめてん、市議選挙に出なさった頃から知合いになんなさった石野義助中佐てん ち云う人達の引っぱりもあったりで、ぼつぼつ刀研ぎ始めなさった。初め庭先の桜の木の下で どん、どうかゴジゴジ始めなさった時は、そげなこつで研の出来るじゃろかちどん思よった。 そりが初めで、そりからだんだん刀研ぎになんなさった。 また其頃、山本が、お蔵のあったとこ辺ば街になしなさって、色々仕事のあるけん、その仕事 させて頂いたりで、おかげで、さすがのお父っちゃまも腰の落付きなさって、ようよう自分で こつこつ仕事して働き始めなさって、やっと人間らしか生活も出来るごつなったたい。 刀研ぎはそののち、時節に向いて来たもんじゃけん、だんだん忙がしうなって、破産も復権の 出来るし、負債も無うなったし、人の信用もだんだん取り返しん出けて来たたい。 だんだんそげなふうで仕事も多なってくるし、磨き捧磨きてん、鎬地磨き、研石ば紙のごつ薄 う研いで仕上げ研きに使うとば作るとてん、辛棒強うせにゃん細か仕事は、自分でするとの面 倒臭うなんなさったもんじゃけん、アヤにさせなさるごつなって仕舞うて、アヤが否応なしに 研屋の丁稚にをされてしもたったい。 戦争のだんだんひどなった頃は、阿蘇、別府、背振の山ん中あたりからまで、刀屋さん、骨薫 やさん達が研ぎ頼みに来ござって、ありがたかこつに、こつちが頼みもせんとに色々食糧持っ て来て貰うたりで、孫たちが東京から疎開して来て、人数も多うなったつに、そりほど食糧の 心配せんでよかったたい。 どうやら食べ繋いで行けたたい。それにお父っちゃまちゃ、やっぱもともとあげな地道な仕事 が似合うた仕事じゃったじゃろ、研ぐとき刀の錆びんこつ研ぎ水の中に、洗濯ソーダばヌルヌ ルする位入るゝとに、不思議に、いっちょん手の荒れなさらんもん、「こりゃよっぽどこの仕 事にあたゃ向いとっとじゃろない」ち自分でも云よんなさった。ほんにその自分に向いとる仕 事に行きあたんなさるまでが大ごっじゃったたい。 |