2溜池とつつみ |
一滴の水でも利用したい |
狩や採取の生活から田畑をたがやす生活に変わってきたことは古代人のくらしのところでのべてきましたが、このような生活になると水がなければ作物は育たず、かんばつになれば飢饉が待っているのです。いいかえれば農業は水との戦いでした。 雨の多い朝倉地方でもかんがい施設のない朝倉村、宮野村の山麓地帯ではひとたびかんばつが襲うと田んぼはしろくなり、収穫はゼロとなって過去には何十回となく飢饉が発生しました。むかしはそのような死の恐怖の連続でした。 |
朝倉町のため池 |
朝倉町では延宝年間(1673〜1680年)に須川の三反田に、山間部の水を集めたため池が作られたという記録があります。筑後川やその他の中小河川からの水を利用できない朝倉、宮野の山間、山麓地帯では、谷川の水を直接利用するか、ため池に水をタクワエテ利用する以外にかんがいの方法はなく、この地方ではたくさんのため池がつくられました。 現在朝倉町内のため池は34か所あって178ヘクタールをかんがいしています。 むかしからこのようにして、知恵をだしあい、生きるために作物をつくり、生産をあげ、自分たちの生活を豊かにしてきたのです。 |
三反田のつつみ |
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