(三池陣屋の眼鏡橋〜安照寺)
もと三池陣屋大手門前に架けられた橋で、長さ 11.8m、径6.8m、石材は阿蘇凝灰岩を使ってある。又構築年は下手渡藩三池領として半地、5千石が返還されので、返還された後の、11代藩主立花種恭公の時で、嘉永5年、(1852年)のことである。
石材、石工ともすべて大牟田市擽野。
|
|
石橋以前は八間幅の木橋が掛けられていた。
E眼鏡橋は寿光寺より北へ、三叉路を右、93号線を左へ行くと堂面川に出る、この川の少し手前の路地を
右にはいると直ぐ左手にある。
|
元陣屋は元和元年(1621)二代藩主
立花種次(たねつぐ)公が常陸国柿岡
(茨城県八郷町)から三池郡17カ村(1
万石)で三池へ復したとき作られた。
其の当時の大手門の石段が三池小学
校南西角に有る。 |
|
三池郷土館(現在廃館)の一部に陣
屋敷の屋根が使われている。後ろは
三池小学校。 |
|
三池藩陣屋敷跡は大牟田市立三池小学校に成っている。
小学校より93号線に戻り右へ直ぐに安楽寺(下の写真)が有る。 |
|
|
安照寺)三池に三度復した時この安照寺が宿泊所であり、陣屋復興の総本部。
二代藩主、種次公が三池に復してから、約185年後七代藩主、種周(たねちか、幕府若年寄)公は、文化二年(1805)老中松平信明と蝦夷地海岸防備について意見が対立し、隠居謹慎を命じられ、翌年陸奥下手渡(福島県月舘町)へ国替えになり、立花家が再び三池に帰って来たのは、嘉永四年(1851)種恭(たねきよ)公のときであるがあくまでも下手渡藩三池領としてであり、三池藩になるのは明治元年の事でした。 |
|