矢部消防組第1部 |
現在の矢部消防署 |
非常備消防団は明治二十七年消防組規則が公布され消防団を設けたことによって始まるが、その詳細については明らかでない。
日中戦争の最中の昭和十四年に警防団令が出され、消防組が警防団に再編されて警察の指揮下で、消防・防火のほか戦時下の体制を整えるための防空的任務が加えられた。そういう体制下で、矢部村は昭和十六年四月に中村、宮ノ尾の大火という未曾有の苦い経験を持ったのである。
終戦後の昭和二十二年には、消防団令により今までの警防団が新しく自治体消防として消防団に改編され、翌二十三年の消防組織法の制定とともに現在の消防団制度が確立された。
手押しポンプ車 |
本村の消防力については、昭和二十三年当時は手押(腕用)ポンプであったので 一旦火災が発生すれば消火活動は困難をきわめた。その後、漸次手引き自動ポンプ車が配備され、昭和三十年代には自動車ポンプ車、小型可搬ポンプが各分団に配備され、消防力の強化が図られた。さらに昭和四十年代に入って各分団に小型可搬ポンプ積載車の配備がなされ、機動力が強化されたことにより、消防力がアップされた。
しかしながら、昭和三十年代から過疎化が進行し年とともに消防団員が減少し、消防力の低下が心配された。そこで地域の防災に備えて、一定の団員確保のため消防団員の年齢の引き上げを余儀なくされている。現在は十八歳から四十八歳までになっているが、他町村と比べて年齢は高くなっている。
現在の消防団の状況は表のとおりである。
ポンプ車の勢揃い | 矢部村少年消防クラブ |
昭和四十五年四月一日、八女地区消防組合が設立され、翌四十六年四月十七日、八女消防署黒木分駐署矢部分駐所が現在地に開設されて、消防ポンプ車一台が配備された。さらに昭和四十八年には待望の救急車一台が配備されている。
昭和五十七年一月一日付で八女東消防署矢部分署に昇格し、消火活動に加えて予防業務、救急業務の充実と村民の生命財産の保全が強化されるに至った。
なお、消防、防災意識の高揚を図るため、矢部村少年消防クラブも組織され、村民あげての防災体制の確立にあたっている。
項目 分団等 |
団員数 | 部数 | 班数 | 指令車 | 自動車 ポンプ |
積載者 | 可搬 ポンプ |
(浮上式 小型ポンプ) フロート ポンプ |
(背負式 半動ポンプ) ジェット シューター |
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本部 | 14 | 1 | 1 | 1 | 1 |   |   | 1 | 5 |
矢部分団 | 51 | 4 | 9 |   |   | 4 | 4 | 2 | 20 |
飯干分団 | 37 | 3 | 7 |   |   | 2 | 3 | 1 | 10 |
高巣分団 | 28 | 3 | 4 |   |   | 1 | 3 | 1 | 5 |
日出分団 | 22 | 2 | 4 |   |   | 1 | 2 |   | 5 |
御側分団 | 16 | 1 | 3 |   |   | 1 | 1 |   | 5 |
計 | 168 | 14 | 28 | 1 | 1 | 9 | 13 | 5 | 50 |
役付消防団員 団長1、副団長1、本部長1 分団長5、副分団長5、部長14、班長28 |