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    左義長
   
  さぎっちよ(左義長)は一月十五日の夕方、組々でしよったたい。小学校の六年ぐらいの子供 が大将株じゃんわらてん竹てんば組の家々からぬき集めて、川原(こうら)は高良川の橋の下 の川端で、八枝はそりから、一、二丁川下の川べり、東は又そりから二丁ばかり下の川べり で、西村は堂の脇んにきの田ん中で、外の組はどこでしよっつろか、みんな村外れでしよっ たたい。

一番大っか竹ば芯木にして、そりに小まか竹どんば寄せかけて、根方にゃ藁ば一ぱ いこづみ上げて、燃やしよった。習字した紙ば持って行って火にかざして、なったけ高う吹 き上げたつほど、手の上がるち云よったたい。芯木の竹はみんな燃えん先に引き出して、鉈 てん何てんで、幾つかにたて割りして、そりば四、五尺位に切って、引き結うだつば、組内 全部に分けて盗人番(ぬすどんばん)ち云うて、門口(かどぐち)てん、裏ん口てん、人の出入 りするとこに掛けときよったたい。

ぬすどんばん作ったりゃ、火当りに来た大人がしてやりょった。 残り火のまあだ火のグリグリしよっとこん灰の中に、お鏡餅てんお供餅てんば入れて焼いて、 火にほてって赤こうなった顔に、口ん端だん、まっ黒になして、子供どんがおかちん食べよったたい。

  下ん方(しもん方、三潴郡)のどの辺じやったじゃり、芯木竹はその年初めて子供の生れた うちから、出さにゃんてろ云うて、うちに孟宗の大っかつば、買い来よったたい。東の組は 何時でん、うちから竹ば出しよったけん、昔から自分達で、太かつから切って行きよったけ ん、高良川ん川端の左義長じゃ一番豪勢じゃったたい。火事の後、うちが八枝組に入ってか らは、八枝にゃ八枝にある藪の竹ば出しよった。

大っかつからは切りよったばってん真竹じゃけん、孟宗のごつ太うはなかもん。 東ん組にゃ八枝に来てからも竹は切らしよったけん、東ん組は昔通り孟宗の太かつから切る もんじゃけん、どげんしたっちゃ東ん組の芯竹の方が太かち云うて、八枝の子供が腹かき よったけん、後にゃ八枝にも孟宗ば出しよったごたる、なったけ芯竹ん大っかつが派手んごつなっとったたい。


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