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    おきあげ
   
"おきあげ"ちゃ筑後にゃ昔からなかなか盛んじゃったたい。もとは、おきあげ雛てん、お きあげで作った箱てん何てんに押絵の花てん模様ばつけた細工物(もん)ば作るとは、家中(か ちゅう)うちの子女のたしなみじゃったげな。上級の侍のうちじゃ、ただたしなみ、下級の侍 のうちじゃたしなみでもあり、家計ば助くる内職でもあったげな。

そりばってん御一新後は禄ば離れてしもうたけん、上級の侍じゃったうちでん大方は家計助く るために作るごつなったたい。梅林寺の坊んさんのお里帰りの時にゃ、そげな細工物てん、 おきあげ雛どん、京町(京ノ隈)あたりの奥さんたちに作って貰うて、お土産にしよんなさったげな。

おきあげ雛にゃ、いちばんに下絵がいるたい。そげんとは、初手は作んなさる奥さんたち てん、お嬢さんたちの、自分で江戸絵てん何てんから取って、下絵ば描いて作りよんなさっ たげな。顔書くともみんな自分達でたい。

衣裳も模様は押花んごたる色々な模様ば作って、着物に貼りつけて、そっで模様物(もん)に 作りよんなさったげな。金襴ものちのごつ、べたべたは使わんで、ほんなこつに人が何時で んの暮しに使うとこにだけ使うち云うふうらしかった。

後には日本画ば描く人てん、提灯の絵描きさんたちが、下絵ば描いてくれよったたい。顔 描きさんも、専問に出けて、田町にござった人が上手じゃったが、戦後どこさん行かっしゃ ったじゃり。

初手は、おきあげはそげなふうで、侍のうちが主に作りょったが、明治になって町家でも 作るとがはやり出して、大正頃にゃ町方じゃ武藤呉服店ちあったとこのばばさん達の、なか なか、はづうで上手に作りござったげなたい。

人形てん衣裳てんも、明治に入ってなかなか派手なこつになったもん。金襴がどこでんギラ ギラ光って、ばってん、あげんとはすぐ錆びてしまよったもん。お節句のやりとりもおきあ げが幅利かせとったばってん、昭和には入ってから衣裳人形が流行り出して、すったりおき あげは寂びれてしもて羽子板にどん付くる位じゃろの。

まあだ殿様時代の末頃、久留米一番のおきあげ作りの上手ち云われた人げなが"とくしよう さん"ち云うて居んなさったげな。そのお方は初手のうち辺とも縁故のあるとげな。うちにも 幾つか作んなさったつのありょったばってん、いまはあの彦山権現のお園だけになって仕舞 うとったい。ほんによかもんのー。

綿の入れ方でんなかに、中味のちゃーんと這入っとるごつ見ゆるもん。あの刀袋ば見てみな さい、袋の中に刀のちゃーんと在る感じじゃうがの。あたしゃ、もいっちょ奴さんば作って あったつがほんに好いとった。身体の部分なたった一枚にしてあるもん。

そりに首と足二本が突き出しとる丈けで、身体のとこは合羽着とるとたい。そりがちゃんと、 からだのそこん中には入っとる感じじゃん。黒か布一枚で貼ってあるとのくさい、綿の入れ 方の何とも云えじゃった。惜しいこつに、売ったつじゃり、くずれたもんじゃり、無かごつ なって仕舞うとるたい。


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