初手物語[村祭りの座]
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    村祭りの座
   
  十二月十五日は村の山王さんのお祭りたい。初手は旧の十一月何日かじゃったげなが大正 時分からじゃろ十二月十五日になったつは。初手は座組の座のありよったけん大ごつじゃっ たが、今は簡単になってほんにようなった。

  お祭りにゃ親類、付合、呼うで、おこわてん何てんおごちそ作ってもてなしよった。どこ でん鶏どんがご難じゃったたい、がめにになされて。
ゆっくりしたとこは、鯛の尾頭付がお 平になりょったが、どこでんな、安目で出くるごつ、もちの魚ばお平にしょったげな。今は もちも高うなったげなが初手は安物ざかなじゃったけん、それに、もちは持ちち云うお目出 たか掛け言葉になるけんげなたい。

  甘酒もどこでん作りょった。めんめんのうちで米のこうじば、早うからねせて、お祭りの 二、三日前に、お粥ば炊いて、大っか瓶てん何てんに入れて、こうじ入れてまぜ合せて、急 に冷えんごつしときよったが、なかなかよう出けじゃったたい。
むご作りきっとはそこのう ちの女達の自慢の種に成りょった。

  いろいろお祭りの行き来が派手になり過ぎるけんち云うこつで、近村近在どこでん十二月 の十五日にお祭するごつなったけん、いきおいお客も自分達の村であるもんじゃけん行き来 せんごつなってから、いらんお祭り騒動せんごつなってようなったたい。 山王さんの座は大ごつじゃった。

  もと国分にゃ三十三組前後の座元のあって、たいがいは、分家と本家、隣り近所、が一緒 になって、多かとこは、四軒も五軒もで一組になっとっとこんあったたい。うちゃ、分家も なし一軒でつとめよった。一軒でつとめとっとこは、うちと、元庄屋三軒と外にも、一軒か あって、五軒ぐらいんごたった。

のち、大正になって、一つの座組の家数の五軒にも六軒にも多かとこは十軒ぐらいにもふえ て、座に坐っとが、五年に一度か六年に一度、多かとこは十年に一度ばってん、一軒か二軒 でするとこは毎年か一年おき座るけん、そっじゃ不公平ち云うこつになって、人数の多かと こから少なかとこさん配り合はせたけん、うちは、浦川原と、川原から入って来たけんで三 軒で座ば組むこつになった。

近頃はもう、うちん者なみんな身体も弱ってお世話が出来んごつなったけん、座組から外し て貰うたたい。座元つとめは、お祖父っつぁんのおんなさったころと昭和ん初め頃に廻って 来たばってん、昭和ん初めんときゃ、ちょうど青木の茂しゃんの忌のかかっとったとき じゃったけん他の二軒に頼うで遠慮したたい。

  座元ん仕事は、十二月十五日の山王さんのお祭りに〆縄作って張ったり、神事の用意した り、神田で米作ったり取り入れたりも初手は座元からじゃったげな。山王さん(下尾)堤に春 に鮒子入れたり、お祭前にそりば捕ったり、座元の家で、しきたり通りおごちそしたり色々 たい。

そっで人ば何入でん雇うとるとこは、一軒でつとめの出けよったばってん、普通のとこは何 軒ででん、もやわんと出けじゃった。費用の手出しの色々いるけん、貧乏なとこはもとより、 そげん貧乏じゃなかってん、一座つとむっと屋台骨のひおりょったげな。

  初手は今とちごうて、この辺な、家が八畳に六畳と土問、六畳に四畳と上間、そりも一間(ひ とま)は板張りち云うとこもあって、そげなせーまか家のだいぶんありょったたい。そげなと こは、村座の者三十何人かば、一ぺんに座らせにゃならんとに、坐らせられんもんじゃけん、 家の前の物干場にどん仮小屋作って、家に人りきらんお客ばそこに坐らせにゃならじゃった けん、何せ大事じゃったふうで、貧乏人程、痛か目によけい会よったたい。

そりに寒むか冬のこつで。そげなふうで、八枝の飯田から大正五年に其次の松山のどこかに 廻ったつが大方終りじゃっつろ。世の中も変ったけん。

  大ごつじゃなかごつ改めたけん、今じゃお神のお祭りだけになって、座の者なお宮に参っ てお神酒(みき)頂いて折詰どん頂くだけたい。座元は何軒かで、〆縄作りてん何やらの仕事 はありょるこたるが。

  座元での座のおごちそ作りてん何てんな、男がしよった。女子(おなご)は一切手出しゃな らじゃった。おこわば揚ぐるときも、家の外に筵てん何てんで、かこいば作って、そのなか で男連中だけで揚げよった。そりば女子が、ちょいとでん覗くと、出け損なうち云うてやか ましかりょった。のぞきどんすっと大騒動じゃったたい。

  おご馳走は山王さん堤に、春のうちから鮒ばごーほん人れとくと、十二月の座の頃は、一 献すわりにちようどよか大きさになりょったけん、堤ば干して座元から鮒取りのありょった。 何せ、何でん同じ大きさでなかと文句ん出てやかましかけん、カマボコの大きさも尺あてて 厚さが一様になるごつ切らにゃんじゃった。お平に入るゝとたい。

大根てん何てんの太さまで揃えにゃならんもん。営所の下水の流れ込むごつなって、山王さ ん堤で鮒ん育たんごつなって、鮒のかわり鯛据ゆるごつなったが、そりも同じ大きさのつば 買い揃えにゃならんけん、大ごつじゃったげな。
ちっとでん太細うあるとやかましうな るもんじゃけん、ほんにおかしかごたるこつばってんの。

  座の案内ゃ座組の家の二十(はたち)になった息子達の行きよったが、そん時や紋付羽織袴 じゃった。どうせ兵隊に行く時も嫁ご呼ぶ時もいるけんち云うて、座の時みんな紋付袴ば作 りょったたい。当渡(とーわたし)ち云うて、座元の新旧受け渡しの御盃事の時、その若者(わ けもん)がお酌しょった。
座のお客は大騒ぎで、飲めや歌えで大鼓てん何てんで、ドンドンチ ャンチャン騒ぎょった。

  お客に使うたお椀類、一切汚れたなり大っか長持に入れて次の座元に送りょった。誰かが 女の着物着てその長持の上に乗って行きょったげな。飯田から送る時やお父っちゃまの飯田 の花嫁ごさんの赤長肌着引きかむって乗って行きなさった。

  今年の座元と次の座元で翌日次の座元の家で道具洗うたり片付けよった。そん時や女がせ にゃんもん。男は後片付は一切せんもん。うちゃおっ母さんの後片付けに、次の座元の元庄 屋の国分和蔵さん方に行きなさった。

  うちが座元になった年やほんに日照りで、山王さん堤の干上ろち云うこつで、中庭に小ま か泉水の幾つかあったつば一緒になして拡げて、しっくいのあく抜き何草か葉入れて、水ば 代え代えして、あく抜きしたばってん、やっぱ思はしうなかった。干上った堤から魚ば取っ て来て一ぱい入れてあった魚のコロコロ死ぬもん。
弱ったっあ、かつがつお祖父っつぁんの 竹串刺して"火ぼかし"しときなさったけん、そりば煮つけて据えたたい。

  うちの座のしまえた翌日は、うちからおこわ揚げたりおごちそ作ったりして座組の女子供 ば呼うだたい。座の時や女子供は坐らせんで後始末てん何てん使い廻すけん、お祖父っつあ んのおごちそ作って呼びなさったたい。

そっで誰でん大喜びした。出入の者の座元つとむっ時や、必ず座元に必要な座布団、火鉢、 何や彼や買うてやりょんなさったけん、みんな喜びよった。
初手んごつ何無し彼無しの頃座 ばつとむっと、何きろん要るけん、どこでん座の勤めはほんに大事しよったもんの。お祖 父っつぁんなえーすかごつして、してならんこつどんすっと、ほんに叱りょんなさったばっ てん、その代り、ちゃんとするこつはしよんなさったけん、みんながご隠居様、ご隠居様 じゃったったい。


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