SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
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両親の小学校 | ||
明治になって一番初めにこの辺の者の行く学校の、野中の高良川に出けたげなばってんす ぐ止んだらしかたい。 府中、今ん御井町にも出けたげなけん、お父っつぁんな、そこに行きよんなさったげな。 生徒ん數もなーにんなかった風じゃん。いつでん士族ん子は刀どん差して行きよったげな。 お正月には裃つけさせよんなさったげな。いつかのお正月にゃ高良山のどこかに穴んあって、 こうもりのおりょったつば捕り行って、裃でん、何でん泥かちゃにして帰って来なさったげ な。そうに悪かった風ばってん学校はよう出けよったちう話じゃん。 時時ゃ先生の代理させられて、同級生に教(おそ)えたりもさせらりょんなさったげなたい。 その頃ガラス写真に写っつとんなさるとの残っとるが、真ン中に、帽子被っとんなさっとが お父っつぁんたい。 後に立っとんなさる先生の「もう写す」ち云うとき、自分の帽子ばぬいで、ちょいとお父っ つぁんにかぶせなさったげなけん、丸か顔のなお丸う写っとんなさるたい。 大人になって からは長顔の方じゃったばってん、子供ん時や丸か顔じゃったげな。 その学校は清水小 学校ち云よったげなたい。 おっ母さんな、明治八年か九年かまで京ノ隈におんなさって、明強小学校ち云うとこに行 きよんなさったげなが、そりから行徳さん行って、田主丸小学校に入んなさったげな。 男も女もまぜくりで、男の年上ん者ンもおったげなばってん、おっ母さんが一番よう出来(く)る げなもん。 そっで男生徒どんが、女子に負くっちゃ残念ね、残念ね、ちみんなで年中云うげなもん、そっで、 おっ母さんなとうとういや気んさして、下等小学だけで学校やめなさったげな。進学するごつ、 ちゃんと本も用意してやっとんなさったげなけん、もちっと行っときゃよかった、ちあとで くやみよんなさった。 |