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    オシンしゃん
   
  御井高等から女学校迄の友だちも何人かあったばってん、中でも萩原のオシンしゃんな面 白かった。

  御井高等ん頃、あたしが小まかとき、丈夫で育つごつち云うて寺町の鬼子母神さんに御願 かけてあったげなけん、そのお礼参りち云うて毎年、ザクロんうるるころ、ザクロば持って 行ってお供えして御礼参りしよったもんひるの休みに先生にわけ話して出て行きよった。
御井高等から鬼子母神な近かかったけんの。そすと、オシンしゃんてん三、四人仲のよかった もんが、あたしば種にして従いて来よった。学校ん外に出ると、遊ばるるもんじゃけんの。

  毎年のこつじゃけん、秋になると「まあだ、ザクロ上げにゃ行かんの」ち催促うけよったた い。学校出て早道ちゆうて西方寺のお墓んなかば抜けて行きよっと、自然石じゃっつろか、 お石塔のうしろ側が、舟の腹ちゅうか、人の背のごつなっとるとがあって“負われ石”ち云 はりょった。
そりに、あたしが一番、あたしが、二番ち云うて番号かけて順々に遠うから走 って行って、ピーンちとび上って、うしろから負はれたごつ抱きつきよったたい。

  鬼予母神さんのとこにゃ外に何さんじゃりいろいろお祀りしてあって、太鼓どんが置いて あったもん。みんなでその太鼓ば、ドンドコドン、ドンドコドンちめった叩きして、お供へ のザクロばさっさと引いてたべたり、そしてオシンしゃんが通町の種菓子屋から買うて来た、 りんもかかっちゃおらん美味しゅうんどーんなか干菓子どん食べたりしよったたい。
そげな わるさが面白うしてたまらじやったったい。

  そりに、オシンしゃん達町の者ンな何時でん、面白かお弁当のおさいば持って来るもん、 町の者ンにゃ面白もなかあたり前のこつじゃっつろが、あたしにゃ面白かったたい。

  お座禅豆ば持って来てご飯にまぜてお茶かけてさらさらさら食ぶるとが、ほんにおいしか ごつして、一ぺんあげんして食べてみゅうち思うて、あたしもお座禅豆持って行って、さら さら掻きこもでちしたところが、ボロボロこぼるるし、のどさんさらさらは入らんし、噛も うにゃ噛まれんし、おいしかどころじゃなし、又からこげなこっはせんち思うたたい。

そりからまた、みんなは塩昆布に白う塩の吹いたつば持って来るけん、どげんして煮るのち 聞いたりゃ、始めお醤油で煮て、煮つまったなら又お醤油さして、そりば何辺でん繰返して 煮込うで、最後にパラパラ塩ば振るちゅうこつじゃったけん、あたしもそげんして煮て見た りゃ、辛らかも辛らかも、ドンコンコンコン食べらるるこつちゃなかもん。

そりからおっ母さんの「そりゃ、おまや、オシンしゃん方は町で買うたお醤油のけん塩んう すかけんそっでよかろばってん、うちのお醤油は、うちで作ったつじゃけん、塩の辛らかつ に、そげなこつするなら辛ら過ぎるくさい」ち云うて笑いなさったたい。
しまいどまり、 この塩昆布は、誰ん食べ手んなかったけん、どうどんしたじゃり。

  そりからオシンしゃんたちゃ何時でん、小まか里いもば、からッと煮つけて、ころころな ったつば持って来るもん。
お醤油とお砂糖で煮るとち云うけん、うちの芋ば煮るばってんベ ターッち煮崩れて、いっちょんころころせんもん。何故(なし)じゃろかち云うたりゃ、オシ ンしゃんの「そりゃ、うち辺な里いもば買うて来るけん、日の経っとるけん、つうばって、 外側ん煮くづれせんばってん、あんたんかたんとはいもの掘りたてじゃけん煮くづるるとた い。そり、お醤油も買うたつじゃなかけん、こげな色にゃならんとたい」ちじゃった。
ほんに、お座禅豆てん、塩昆布てん、里いもてん人のおさいの真似ばっかりしよったがのう。

  このオシンしゃんな、御井高等ば卒業して女学校(久留米高女)に入るとき、師範学校には 入ってじゃった。

  そしたりゃ女学校の方がよかち云うて、女学校さん来てあたしどんとまた一緒になったた い。そりからやっぱ、師範がよかち云うてまた師範さん転校したもん。
そしたりゃまた女学 校さん来るちじゃん、そげーん行ったり来たりするならどうにんならん、いよいよ今度は女 学校から動かんのち学校から云はれて、今度はもう動きまっせんち云うこつで、また女学校 さん帰ってござったつばってん、あんまり行ったり来たりで一年下組にしか編入してもらわ れじやったけん卒業は一年あたしどんよりおくるるごつなったたい。

  何時でんあたしどんがわるさの先達じゃったがの…。うちは蛍川でいまの蛍川から櫛原一 丁目さん上って行くとこの南裏側じゃった。兄さんなそのころ支那浪人ち云うとじゃったげ な。支那に行ったり東京に行ったりしござるごたった。

オシンしゃんな女学校卒業直前東京さん行って児玉さんち云う人への奥さんになってじゃった げな。そっで久留米高女の同窓生ち云うわけじゃなかたい。女権拡張の運動したりして、婦 人雑誌にどん載(つ)いて来ござった。
いつかは紋附のお引裾して立って写っした写真の 雑誌に出とったこつどんがあったが、ずーっと早よ死んでじゃった。


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