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    ご法事
   
  ご法事てんお祝てんのときは、ずうっと昔は何でんうちで作らにゃならじゃった様子じゃ ん。のちにゃ料理屋てんお菓子屋に頼みよったばってん。もとは、お豆腐、こんにゃくも、 うちの豆てん、こんにゃく芋から作りょったたい。そげなこつば、かすかに憶えとるたい。 米も何時でんなうちで搗いた米で色の黒かけん、お客の時や水車で磨はいで来よったけん、 真白じゃった。

  おざっしよのお餅(おかちん)につくる粉はあれの粉ち云うて、米の粉ば小ーもひいて、そ れに紅の色ば着きぅち思や買うて来りゃ紅のありょったけん、よかったが、緑色は無かった けん、時々の青菜ば茹でて筋ばとってかわかして、すり鉢で粉のごつ、すってまぜよったた い。

  買物も町まで男たちが何人でん、長めご荷のうて、買いに行きよった。通丁の八丁目辺に 行くと一応何でん揃よった。今で云うマーケットのごたる何でも屋のあったたい。初め府中 の者じゃったげなが、明治に成る前か頃火事出して、大火事になったげなたい。初手は大火 事の火元どんすると大事で、皆んなから切れ物三味のひどか目に逢はさりょったげな。保倹 も何も無か今たちがう世の中じゃ無理も無かこつでんあっつろたい。

そっで追い廻されて、うちに初手出入しよったげなけん、うちさん逃げ込うで来たげなけん、 お祖父っつぁんの、かくもうとんなさったげなりゃ、うち居るこっんわかって、切れ物持っ て皆して押掛けて来たげなたい。

お祖父っつぁんの追払いなさったげなけん、家の中さんな入りきらじゃったげなばってん、 表の高皇宮にちゃーんと何人でん張り番しとるげなたい。そっでお祖父っつぁんのどこから か、にがしなさったけん、久しう他さん行って、後あすこさん来て、店始めたりゃ都合のよ うして、だんだん大きう店も拡げたっげな。
そげな縁でうちゃ買物な大方あすこからじゃったつたい。

  そげなふうじゃけん何日か前から加勢人が何人でん来よったたい。何日か前に誰は何係り ち役割書いたつば、お台所に張り出しとくと、加勢人なそりば見て、何時でん馴れとるも んじゃけんコトッとん云はせんで事の運びよった。お料理方は大がいの事は茂平次が上手に、 さいはいふって料理しよったたい。そりばってん、やっば何じゃ彼じゃ大事じゃったたい。

  ご法事の上通りのお客は親類筋、坊んさん、うちの家族も上客と同じお膳に座りょった。 上客にはたいがい、お供が十人前後はいつでん付いて来よったけん、そのお供人と、近在の 付合い、出入の者、そんときの加勢人とうちの定雇の男女達が次通りのお客じやった。
お客 に招んだとこにも、場合ぢゃお配り物ば別に男に荷なわせてとどけよったたい。村内近在の 主立った付合は、招(よ)うだり、配り物にするとこもあった。組内にゃ招ばん時にゃ必ず何 ぢゃりお配り物ばしょった。出入内も、お仏さんの都合ぢゃ、配りもんだけで済ますとこへ んもあったたい。

  大体献立は昔から決まっとったふうばってん、時々のお仏さん次第でも少しの軽重はあっ たごたる。何せ、あたしが代になっては、初手んごつ、いんがっとするこつの出けんごつな って、初の内ゃ料理屋にどん頼みよったが、そっで主(せ)だって、した事んなかもんじゃけ ん大方忘れたたい。あたしのひいばばさんの二十五年のご法事んときの書付けどん見ると大 体のこつはわかろたい。そんとき迄は色々な物ばうちで作ったりしとったたい。そりゃあた しもかすかにおぼえとる。お祖父っつぁんのご法事からは、街の丸五てん翠香園てん、お菓 子やてんに頼むごっなったたい。

 光巖院様二十五回法忌控(明治二十三年旧三月十八日)
 上客、僧侶親類共に四十八人、家族七人内(一人親類寄偶者)
 次客、上客供人十人、出入使用人とも四十八人
 合計 百三人
   上客献立
 酢和へ  大根、いぎす、揚皮、しか(うど)、てん(寒天)、赤のり、青味
 汁    苞豆腐、椎茸(乾物)、蕗。
 香ノ物
  坪    梅ふ、のり(川茸苔)、松露(乾物)、しようが。
  飯
 引 盃
 猪 口  ゆり、(梅肉あえとか味噌あえ等)。
 二ノ汁  平茸、芹。
平   めまき(のり、川茸のり、ゆば、揚皮等で渦巻形にまいた豆腐かまぼこ)、
 香茸(乾物)、竹ノ子、二丁引(ふ)、蓮、作り芋、茗荷。
皿   蓮揚物、くわい、わらび、豆腐、苞豆腐、めまき、ゆば、香茸(乾物)。
臺 引  宝物(饅頭数個を昆布で巻き衣をつけて、宝袋の形に揚げたもの)、扇昆布
吸物(味噌)山椒、おぼろふ。  
  鉢   ひたし物、三葉せりけし。
 大 平  角揚豆腐、氷こんにゃく、竹ノ子、しょうが、つとふ。
 湯 茶
 菓 子  腰高饅頭三個、こうさこ、かやの実、羊羹 千代結び

  昔ゃ次客は上客より大分献立の品数てん何てんが、違うとったが、此あたりからは、あん まり変らず、何か一皿略してお菓子が一寸ばかり手心のあるちうぐらいじゃった。この控に もそりで次客のつは特別書いて無かつたい。

  このお客のときの次の話しがおもしろかもん。このとき茂平次の方は一家中、夫婦、息子 夫婦、孫娘迄七人座ったげなけん、七人前のお料理てんお菓子でお土産がごーほなしこげな たい。ばってん、おもとはそん時や一人げなもん。そっで茂平次ん方ばとても羨ましがるげ なもん。半分な面白半分でじゃろたい。そん時のこつば後迄いとしゃんが笑うて話しよった たい。初手は何事かあると皆寄って一寸したこっばはやしたてて、面白おかしうさわぐとが 楽みじゃったったい。

  初手にしては案外おご馳走じゃったごたる。練物てんが何やらコツの有ってちょいとむつ かしかち云よった。おなますは、長皿に、いぎすの練物てん、寒天、大根の千切り、揚皮ん 千切り、青味んごたるもんば美しう飾ってついだりしよった。百合根も梅肉和てんしよった。

  ご飯が始まると主婦が、お平椀の蓋に昆布ば扇形にしたつと、お饅(まんじう)ばいくつも 昆布で巻いて揚げて、たて割にすると藤の花の房んごつ見ゆっとてん、宝袋んごたっとば、 上座から下座さんつぎよった。本膳さげてお茶ば出すときゃ、向う付けち云うて、二の膳よ りちょっと小まかお膳に、お饅、羊羹、落雁、千代結、てんばついで出しよったたい。

  そげなお客の時ゃ、うちの者な、みんな男は紋付羽織袴、女も紋付に広帯で、吉凶に応じ て散らしがあったりしよったたい。そげなつはみんな絹てん何てんよか織物じやった。

  お替え(給仕)の加勢には、かねて出入の娘てんに行儀作法教え込うでありよったけん、そ の娘どんが何でん心得てようしよったたい。お替人な見かけもよし、お行儀もよか娘達で、 着物もみんな紋付の裾散らしのついたってんの絹物で広帯さするけん、娘連中も楽しみで加 勢しよった様子じやった。

  器物(うつわもん)方は、おかね、おつる、おたみ、ち古参の馴れたばばさんたちで、お膳、 お椀の事になっと、おっ母さんよりその在りどこでん何でんよう知っとりよった。お客の済 むと、またそりばお湯通して拭き上げて、白紙ば間に入れて箱に人れて納し込みよった。

お膳椀片付けのときゃ女達てん、人手の多かけん、賑やかして、お碗の拭き方がお留守になっ とるち云うて、器物方のばばさん連からつき返されて、また拭き直しのあったりしよったた い。塗り物な拭き上げが大事じゃん。拭き上げの悪かったり、あんまり長うしまい込んで乾 きすぎてんいかんもん。適当に使よらんと却ってそずるもん。

  とにかく、ご法事はそげなふうで大事のけんで、同じ年のこ仏事はなるだけ一辺にするご つ取り越してん何てんしてしよったばってん、何彼の都合でやっぱ年二回ぐらいするこつが 多かりよったたい。うちはお祝いごつよりご仏事の方が多かりよった。

  そげなふうで、ご仏事は何時でん、おこわ揚げて配りよったばってん、ほーんに大事じや った。めごにおこわ入れたお重ば何段でん入れて、男が担うて配ってさるきよった。向うの 家に着くと臺にお重ばのせて御仏事じゃけん、白てん、にび色てん、うす水色の絹に定紋も 影紋ち云うて線描きに染め抜いた紋ば付けた袱紗ば載せて上げよったたい。受けた方ぢゃ、 仏事は跡ば残さんごつち云うて、お重は洗うて、拭き上げて、返えしよった。

  おこわはご仏事は、くちなし、染めで黄色にして、黒豆入れよった。別に白紙に白黒の水 引かけたお包の中に、ごま塩入れてつけよった。

  又かならずおかちんば、うちのお仏さんに一重(かさね)、お寺に一重供よった。出入内て ん、組内にも、おこわか、おかちんば配りよった。お煮メも添ゆるこつもあった。

  お正月のご仏事、お盆、それぞれのお仏さんのこ年忌、お祥月命日、てんうちはお仏さん の多かけん、大方毎月のこっあったたい。

  そっで、あんまり大事じゃけん、常寛さんの、お饅頭にしなさいち仰しゃったけん、街の お菓子屋にたのうで、お饅にしたけん、そりからがちっと楽になったたい。

  お城内も、苧扱川も、金山寺作って、ご仏事のおうつりにしよんなさった。お城内は後に お茶植えてお茶の出来るごつなっとったけんお茶ば入れてあげよんなさった。

うちは干柿のある候(ころ)は干柿ばあげよった。そげな事も大正の末頃は、うちがどんこん ならんごっなったけん、出来(け)んごつなったし、また世間一般もあんまり初手んごつ巖重 にゃせんごつなったもん。


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