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    竹と筍
   
  お正月前になっと、藪みんなの垣の結い直しばしよった。笹うらで。笹うらは竹切ったと き、九月か十月頃たい。その枝ばおろして、葉ば枯らして落としたったい。

  人ば何人でん雇うて、何日でん掛りよった。かねて垣ば結うてはあるばってん、ようと締 め直して、新しか笹うら入れてちゃんと結い直すとたい。

  春になると筍の立つけん、垣の外に走り出た竹の子は誰でん取って行きよったたい。そり ゃ誰でん取ってよかもんじゃけん。そりばってん垣の破れとっと中さん入って取りょったた い。

  いつか南の藪の竹の子が一晩でみーんな盗まれたたい。あの藪は四段ばかりあったけん、大 分竹の子も多うして、とても二軒三軒の店ではさばきはせんけん、大方、営所納めに持って 来るじゃろ、南の竹の子は地の肥えとって、どこん竹の子とん色ん違うけんち云うて、出入 の者どんが営所ん前に張り込うどったりゃ、違わんごつ馬車一台、いっぱい積んで持って来 よるげなもん。そりから取押えたりゃ、やっぱ南の藪から盗ったっじゃったげな。

  竹は切り時で、ほんに保ち方ん違うげなたい。生えた所ででん違うげな。うちは、お祖父 っつぁんの、「うちに竹使う時や上ん段の真竹は使はさんな、あんまり地味ん良かけん、太り 過ぎって弱か、川原の藪んとば使わさい。あすこは下が砂利原で馬鹿太りはしちゃおらんけ ん」ち云よんなさった。

竹ちゃ、ようもつるもんらしうして、前の千栄寺の本堂の出けた時げなけん大方殿様時代か 明治の始めじゃっつろが、本堂の瓦下てん壁竹に全部うちから上げた竹使うてあったっが、 今度石橋さんの建て換えなさったとき、本堂解いたりゃ、まあだ、虫一つ付かんでカンカン しとるけん、庫裏の方にまたその竹使うたち和尚さんの話しなさった。
昔や切り時でん乾かし方でんちゃーんとしよったけんじゃろ。

  孟宗竹の方はほーんに大っかったけん、竹の子も大っかりょった。よっ程地が肥えとっと じゃろ。親類うちでん、真藤ん竹の子ち云うて、上ぐるとみんな喜びよんなさった。佐々ん 真之助ちゃんが、幼年学校の試験うけに営所に来て帰りにうちに来て、竹の子ば自分で掘っ て行ったつが面白かったじゃろ、中共に抑留されとったとき、真藤の竹の子掘ったつば思い 出すち云うて、手紙に書いとんなさったこっのあった。

  恒が小まか子供ん時、竹の子頃になると毎朝早よ、ばばしゃまに負われて、見に行きよっ た。そして、あすこにあげんとの立っとるち、ごーほん立っとっとばちゃーんと覚えとるも ん。そして恒しゃまにお伺い立てて掘らんとやんやん云うて、やかましかけん、竹の子奉行 ち、しこ名(渾名)つけとったたい。そりばってん、掘って来とっとてん、皮ば見せんとねー ごつんなかけん、恒が居らん時掘った時や、すぐ皮ば捨てて仕舞うとくと、煮とっと見たっ ちゃ、ねーごつん無かったけん笑よったこつじやった。


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