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  柿はもとから有ったつもあるばってん、お父っつぁんの色々な柿の苗取り寄せて植えとん なさったけん、色々あった。甲州丸、葉がくし、霜柿、砂糖柿、江戸一、百目、八や、その 外名も知らんとや渋柿もあったたい。
裏の蕗畑んなかにあった渋柿は、ほんに大っか木で、 根廻りだん、八尺たいわんごっ大きゆして、大人の一抱えとは云わん太か枝が下の方から東 西に張って、七、八間だん高うなつて、毎年そりに実の生るこつが生るこつがー。そりが夕 日に当って高か青空に真赤になってほーんに美しかりよった。

  初手は、あげん大っか渋柿の村内に何本もありよったが、二百年なり三百年なり経った木 じゃっつろが、今はみーんな切られて仕舞うた。

  裏のお露地の端にあった甲州丸は、もと家のお椽先んにきあったつば、新宅建て増すとき に、あすこさん引きやったつげなが、こりも大きなもんになって、根元の方に一段形んつい とった。大方渋柿に昔甲州丸ば継ぎ木したつじゃうち云うこっじゃった。外に大っか甲州丸 の二本あったばってん、こりが一番実も木も大きうしてほーんに美味しかった。

  まあだあたしが子供んころ、大演習のあって小松宮がお出になった時じゃっつろか、夕方 裏ん方から何人でん来ござるもん。そしてあの甲州丸ば、こう見上げて、「あった、あった」 「生っとる、生っとる」ち云うて、入ってござった。

郡役所ん人達じやった。宮様に柿なっとん上ぎゅうちゅうこつになったばってん、よか柿の もう晩うなってどーこんなか、ここに来たなら、ありゃせんじゃろかち云うて来てじゃったっ げなたい。
もう晩うなっとったばってん、よう熟れた大きう美しかつのまあだどりしこ か残っとった。甲州丸は霜の降るごつなるころが美味しうなるときじゃけん、こっでよかっ たち喜こうでちぎって行かっしゃった。

  今た違うて、柿でん何てん、そげんよそから送って店で売るちゅうこつはなか時じゃったも んじゃけん、他に何か上ぎゅうち云うたっちゃ、土地になった柿どんでなからにゃ無かっつ ろたい。八やち云う大っか渋柿はあんまり大っかけん、干柿にはなり口が持ちきれんで落ち ょったけん、木のままで熟し柿にして食ると一人で一つ食べきらんごたった。あんまり大っ かもんじゃけん、皆がバカ柿ちあだ名つけとった。

吊し柿ちゃ、なったけ熟してからせんと、よかつの出来んもん。夕方男たちがちぎって来て、 お台所の板敷に山んごつ置いとるけん、つう(へた)のとこのちょいとはじいとっとこば、摘 んでお台所の畳敷の方さん積みかゆっと、みんな取囲うで座って、めんめんお膳ば膝ん上に 乗せてむき始むるもん。お膳に皮ば入るるとたい。つうのそばに少し皮ば残して、成ったけ 幅せもう薄うむかにゃいかんもん。

ばばさんとおっ母さんなほーんに上手で長ご皮でん続くもん、いっちょん切れんで。皮むき 物な、男達がちゃーんと研いどきよった。翌朝になると、棕梠の葉取って来て細う割って二 本ば根のとこで結びその両端に柿ば一つづつ結びつけて、新宅のお椽の先に竹竿ば、三、四 段掛け渡して、そりに掛けて干しよったたい。

ブタブタ位干し上ぐっと、ひとつ、ひとつ手でもうで、芯ば柔うなるごつしよった。もんで からは、夜は家の中に竿ごと引込めよった。そして乾きかけたころで一つ一つ形ば美しうと とのえて、また干すと、少し白粉のふいて来るけん、そしたなら取込うで、白紙ば間に入れ て納しとくと、立派に白粉ふいた干柿になりょった。

  常寛さんの、もう真藤ん干柿の出けとる時分じゃろちうておいりょった。真藤ん干柿ちゃ親 類中で名高かったけん。親類からご仏事のお配り物どんが来ると、いつでん干柿の時季にゃ 干柿ばお入れそめにして上げよったたい。

  佐々の真利しゃんがいつでん真藤ん柿、真藤ん柿ち、奥さんの修子さんに話すけん、そげ ん真藤ん柿ち云いなさったっちゃ、私にゃわからんち云うけん柿送ってくれち云うてやんな さったこつんあったけん、よう熟れたつば、木箱一ぱい送って上げたりゃ、熟れ過ぎって、 どりしこか、つぶれたりしとったばってん、ほんに美味しかったちお礼の来たこつんあった。 其頃、迄は、此辺な富有柿てん無かった上方にゃ富有柿ちあるげなちゃ聞きよった大正頃、 のこったい。


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