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    織 屋
   
  うちの織屋はいつ頃から始まったもんじゃり聞いとらんたい。あたしが憶えた時はもう織 屋しよった。明治二十年頃にゃ始まっとったじゃろち思うばってん、そしてやめなさったつ が、三十年代の半ば過ぎ頃じゃん。そりもはっきりとは憶えんたい。

  織屋ん景気の良かうちやめたけん、うちは織屋では儲けなさったげなち、三番目の佐々の 伯母さんのお話ししよんなさった。あたしゃうちんこっもそげなこつはあんまり話して聞か せなさらんし、そげん聞きもせじゃったけん、伯母さんのお話し聞いて、知る位じゃったた い。

  織屋の師匠にゃ熊谷タカち云うて、もう後家さんじゃったつば雇うとった。お伝さんの直 弟子から習うたげな博多へんにも絣の織り方ば教えに行っとったげな。若かときどこかご家 老さん方の上女中に上っとったこつのあったてろで、性質でもあっつろが、けじめのやかま しうして、てきぱきして、行儀作法も心得た、しっかり者じやった。

こげな女なら良かろうち云うて雇うて、そりからずうっとうちに雇うとった。織屋の仕舞え たっちゃ、うちの、雇人頭んごつしとった。織屋んときゃ林藤太ち云うて、倉富からのばば さんの親類の人が、会計のこたるこつばして、糸はえたりする者が一人、藍染めする者が二 人の合計五人と、織子たちが、十五、六人位、いつでん来よったごたる。
農家へんに織りに出すとが織手の人数より多かっつろ。糸はえてん、くくり糸解きてん、糸 くりてんも農家に出しよった。

  明治の半ばすぎって、藍じゃなか外国染料の這入って来て、色はパーッと美しかばってん 洗うしこ色ん悪るなる欠点のあるとばってん、手間ん入らんもんじゃけん、そげな染料使う ごつなって、久留米絣の評判の落ちたこつんあったたい。

  絣問屋は、本村の松屋と、国武の魚木とこ軒どんじゃっつろ。うちゃ魚木と取引しよった。 国武喜右衛門(喜次郎)さんな、もとは絣ば背負うて売ってさるいて、こつこつ絣屋ばしござ ったげな。世間話じゃ下駄ん歯に金のかたまりのはさまったげなてん云よったがその頃から あげんとんとん拍子で良うならっしゃったげなち云うこったい。

うちの絣は本藍じゃったけん色はちょっとはくすんで見ゆるばってん、洗うと美しうなりよっ たけん、評判な良かったげなが、魚木が見ばえんせんてん何てん文句云うて、値段ばこぎる 癖に、正藍でなからにゃならんときゃ、もうさあ、ち云うて、うちんとばせくるち云うて、 おタカが腹かきよった。

  国武の喜右衛門さんの姉のおみよさんてろち、こう肥えた小母さんが、いつでん帳場んに き坐ってござったが、おタカはその人ば前から知っとったけん、いつでん其人と交渉して、 売値ば決めて売りよったたい。どりしこか絣の出来ると車一っぱい積んで曳かせて、おタカ がついて行きよったたい。うちの屋号は国真舎ち云よった。布の織り出しに国真舎ち織り込 うであって、そこに、本藍の証と製造元の名のついた紙ばつけよった。

  織屋で絣織るときゃよー歌唄うて織りよった。そうすると仕事のどんどんはかん行くち云 よった。めんめんに喋べりよると手がお留守になるげなもん。歌うと調子に合わせて、手が ひとりでに動き出すとたい。

  あんまり喋りんはづむごたっときゃ、誰かが"話しゃ止めにして唄おじゃないか、唄はよい もの気のくすり"ち唄い出しよった。そすと、みんなそれにつけて、どんどん唄うてトンカラ トンカラよう仕ごつのはずみよったたい。

  秋てん春てんに織屋から遠足にどん行きよった。お弁当どん持ち出して。
  いつか温石湯に行ったときゃ、お父っつあん自作の、"久留米絣の歌"ば、織子たちが道々 列作って歌うて行ったげなけん、村ん者ン達が珍らしがって、大っか学校ん来よるち云うて、 家から飛び出して来て見よったげな。藤(ふつ)ちゃんが着物に靴どん穿いて山高帽どんかぶ って大将で行ったったい。織子たちゃ、そげんとが楽しみじゃったったい。何にんほかに楽 しみはなかもんじゃけん、そげんときゃ、織に出しよっとこ辺の者もいつしょに行きよった けん、だいぶん人数も多かっつろたい。

  その頃は織屋が娘てん息子てんの社交場のこたるふうで、たいがい織屋で知り合いになっ て嫁ったり呼うだりしよった模様じゃん。かなり離れた村ん織屋まで若け者だん行きよった ちう話たい。そげなふうで織屋は風紀の悪るかとこち云うごつ定評のあったたい。織屋の人 数は、五、六人位のとこから大っかとこは、二、三十人ものとこもあっつろ。

  うちはおタカがしっかりもんのやかまし屋で、若け者どんが来ると追返したり、おごった りしよったふうであんまり若け者も寄りつききらじゃったが、どう云うはずみか兵隊が何べ んか来たげな。よその織屋には兵隊どんがよう入り浸っとった模様じゃった。

そしてその兵隊がうちの織子に、にくじばししたじゃろたい、織屋ん二階とうちの七畳の二 階とは軒先が何尺かしか離れとらじゃったけん、織屋ん二階から七畳ん二階さん織子が飛び 移って逃げて来て、下さん行ってしもとったげなりゃ、あと追うて、兵隊も二階さん入って 来て、下さん降りて来たところが、ちようど、紫幸が来とった時で琴てん三味線てん出しとっ たけん、兵隊が「ほうこげんとん出とる、いっちょ弾いてもらわにゃ」てん云よったりゃ、 お祖父っつあんの出て来て一言「元さん帰れッ」ち大っか声で云いなさったけん兵隊は、こ そこそ逃げ出して、そりから後はいっちょん来んごつなったげな。

この辺にも織屋んいくつでんあって、そこにゃ遠方からでん娘たちが泊り込みで来とったたい。 うちは通ようて来らるるとこん者ばっかりしか来よらじゃった。


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