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    ※西村の大火事
   
  あたしが高等小学校ん頃、西村に大火事んあって何軒でん藁葺農家の焼けたこつのあった。
  火元の婆やいが昼のお茶沸しよって、焼けだしたつげな。その辺のもんなみんな、高良内、 たきもん(薪)取り行っとったけん、誰りんおらじやったけん丸焼けじゃったげな。国分に煙 ん上がっとの山から見えたじゃうたい。国分ぁ火事ん焼きょる、ちうて何でん彼んでんほっ たらかして、どんどん走って帰って来たげな。

家ん前ん道ば「うちゃもう焼けちしもたじゃろのー」ちひめき(悲鳴)声んごつ、おろうで走っ て行ったち、あとからおっ母さんのおっしゃりよった。一軒のうちゃ赤子ば寝せたまま行っ とったげなけん、もう焼け死んだもんち思て、帰って来たげなりゃ、火事なるほんな直ぐ前、 親類の娘が来たりゃ、そけ赤子だけ寝せてあったもんじゃけん、自分が負うて出とったげな けん助かったげな。

  あたしが学校から帰って来よったりゃ、野中の国道筋の家から、のちの兵器廠の前のにき たい。おタカの、ひよいと出て来らって、「国分あ火事でございますげなばい」ち云わるもん。

  国分ん方ば見っと、ほんなこつ煙ん上りよっとん見ゆるもん、家じゃなかろかちおタカんど んどん心配せらるもん。一丁田ん方さんだんだん近寄ったりゃ煙ん元は、ちっと、うちん見 当から北に寄っとるもん。「うちじゃなか、うちゃ、ほーらあの松木のつー(通)りじゃけん、 ちょいと北に寄っとろがない」ち云うばってん、おタカは「どーか、このお方あ落てついと んなさるこつち云わって、フウフウ云いながらアアキッサ、アアキッサち云わりながら後か ら付いて来らるもん、だんだん近寄って来っと、やっぱ煙りゃうちから大分北の方に外れと ったけん、ようようおタカも安心せらったこたった。アアキッサアアキッサはおタカの十八 番じゃったもん。

  おタカと一緒にうちは人ったりゃ、家は、上を下えの大騒ぎじゃった。お台所にゃ、あの わったちのぐじぐじしよらるし、おむすびてん、お雑餉(ざっしょ)のおかちんてん、ごちゃ ごちゃ置いてあるし、ちょうどうちにゃ、山本んおかねしゃんの生まれなさったお祝のおざ っしょ搗きんありょったげなりゃ、火事なったけん、炊出ししよっとに、佐平次ぢーやいが かねて大釜炊きの名人じゃったが、どこかちょうど出とらった時じゃったげなけん、ご飯の 水加減てん火のたき方ん馴れちゃおらん女たちん炊かったげなもんじゃけん出けそこのうて、 あたでせいろうでむし直したり、大騒動んありよったったい。おタカもすぐ手伝わった、あ たしも何じゃり加勢したたい。

  いつでん村内てん知り合いてん火事どんがあると、直ぐ炊出しのおむすびば、火元てん、 その近所に、火事見舞くばりよった。

  大正の初頃じゃったか、西村に又昼火事のあって、炊き出しして、おっかさん方はようと、 どこがどこか、わかんなさらんもんじゃけん、出入んわり達相談しなさって、どこどこ辺り やったならよございまっしうち云わるけん、其通り配らせなさったげなりゃ、甚助ん方の落 ちとったげな。

甚助はうちからあすこに養子、やんなさったつじゃったげなけん、そりまでは、うちば里ち 云うて、始終あるき来よらったたい。そりばってん炊出しば貰わじやったち、プンプン腹立 てて、そりから出入りせんごつならったたい。ほかん出入りのわり達も、甚助方んこつばと んと忘れとらったげなたい。


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