SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
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時 刻 | ||
昔しゃ時刻はお城ん太鼓てん、お寺ん鐘てん、そりからお天道さんの日差してんで大体わ かりよったふうばってん、のち紡績会社の出来てその会社のブーが、あさ、ひる、夕方、吹 くけん、そりで一般の者も大体わかりよったたい。のちにゃ師団の出来て正午の大砲で久留 米近郷は十二時が知れよったたい。初手は世間が静かじゃけん、上郡の行徳てん徳童あたり まで、よう号砲の聞こえよったげな。 紡績のブーは夕方五時鳴りよった。なにかの都合で学校からおそう帰りよっと紡績のブーの 鳴るこっんありよった。ブーツち吹き始むっとだいぶん長う吹きよったけん、電信柱二本歩 むあいだ位の時間のあったたい。 うちは明治の始頃、長崎あたりでばし、買いなさったもんじゃろ、山本と同じ時計じゃっ た。製造年月は一八七〇年七月六日ち入っとるげな。大方まあだ刀差しとった時分から買う とんなさったっじゃろ。英国のブレストルち云うとこんとげなたい。ずうっと初手はそげん 紡績も大砲もなかったもんじゃけん、お祖父っつあんの日時計で合わせよんなさった。なに か、分銅の下がっとるごたっとでお縁で陽影に合わせて時間のわかりよったけん。 火事のとき藪のなかさん持ち出してあったとき、さかさまにして、立て掛けてあったけん振 子の中さん落ちこうで、どうかなったてろで、ちょいと修繕したきり油さすよりほか、故障 もなかったりゃ、昭和十何年頃か、大分戦争のひどなったころ、時計ば柱に掛けとった掛金 の錆びて切れて、ドスーンち落ちたけん、そんとき修繕したたい。何せようもてて、今でん 動かしゃしゃんと動くもんじゃけんの。見かけは、しかとん無か粗末な形しとるばってんの。 初手は、夏になっと大っか銅壺(どうご)で、お湯沸かして行水しよった。その銅壺は石炭 でわかしよった。 時計が五時になっと、火ば焚きつくるけん、黒煙のお台所ん煉瓦煙突からプーッち上りよ った。すると「ほーら真藤さんの銅壷に火の入ったけん、そろそろ夕方ん用意どんせじゃこ て」ち村ん者たちが云よったげな。うちにゃ昼ば知っとった"時計犬"ちあだ名のついた犬の おったこつもあったりで、村ん時計のごたるこつじゃった。 大正の始めごろまでだん、時計のなか家は村にも多かりよったけんの。そっじゃけんち云 うて、学校てん集会てんのとき、特別、時間のまちがうこつもなかったが、初手ん者な、お 天道さんてん、夜の冷え込み具合てん、鶏の鳴き声で、ちゃんと時刻ば知りよったつじゃろ たい。 |