SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
|
||
馬から自転車 | ||
お父っつあんな馬術の稽古に行くち、行っとって、馬術はそっちのけで馬術の先生の城さ んの奥さんが月琴の上手じゃったけん、月琴の稽古ばっかりしよんなさったもようじゃん。" 大宰府の景色見て見なさい、右も左も茶屋ばかり、ホーカイ、お客さん寄んなさいと出て招 く、ホーカイ、客わぁー馬鹿よ、ホーカイ"ち其頃はやったホーカイ節で、自分の作んなさっ たそげな歌どん月琴に合わせて歌よんなさった。 城さんな代々久留米藩の馬術の先生じゃったばってんうちへんとは、ちょっと家風がちごう て、ご一新後長崎にどん行っとんなさったけんじゃろ、ハイカラで、奥さんな、しゃれた前 掛どん、ちょいとはむるちう気の利いた家じゃった。 そげなふうで、其頃は乗馬がはやりよったたい。旦那んさん達や、山高帽に洋服てん袴に 靴はいたりてんで、馬ば走らせなさっと、別当は後になり先になりして、走って従いて行き よった。きつかこつじゃっつろたい。ばってん馬は、別当じゃ何じゃで大ごつのけん、いつ の間にか自転車に変った。馬仲間が自転車に続いて、よう太宰府あたりまで遠乗りちしよん なさったが、始めはなかなか乗りにくかふうで、向えの高皇宮で、お父っつあんの練習しよ んなさったが、バターバタ倒れて落てて、あっちこっち生傷ばっかり作りよんなさったが、 いっときしたりゃ、低うはあるばってん、高皇宮さんの石段の三、四段のつば、片手に傘さ して、登ったり下ったりするごつ、上手になっとんなさった。 なんせ車がいまんととは、わけんちごとるもんじゃけん、鉄の輪で前輪が大きうして、後輪 が子供ん三輪車の輪のごつ小まかったたい。前輪の芯捧に踏むとこん付いてくさい。一回踏 んで廻すと輪が一回廻るとたい。そっで前輪の大っかつ程よかち云うて、後にゃ胸まである ごつ輪の大っかつに買換えなさった。前んとは男達がお昼あきに高皇宮さんで、楽しみで乗 り廻しよった。 バタバタひっくり返りながら…。ばってん後にゃ男達もほんに上手になって、お使いに自転 車で行くごつなってほんに早よ行かれて便利になったたい。 お父っつあんてん、男達がそげん乗るとば、村ん者たちてん、高良内へんの男達まで通り がかりじゃろばってん、よう石垣に腰かけて、仕舞まで見て行ったりしよったたい。 自転車組は、林田守隆さん、山本常寛さん、水野さん、宇高さん、佐藤さん、佐々真成伯 父(おっつあん)にお父っつあんてん、元の侍あがりのお方達じゃった。そしてめんめん失敗 ばっかりしとんなさるもん。店んなかに突っ込んだてん、物売りと衝突したてん、お父っつ あんな、清水の下の水車んにきの川に落て込うで、川杭で向う脛に大ぶん怪我しで、帰って 来なさったところが、山本からお入っとったけん、すぐ失敗の知れてしもて、「しもた!」ち 云よんなさった。 みんなの失敗ば詩に作って、書いたつの三番目の佐々にあったがどうなったじゃり。其頃、 山本のおまきしゃんの、お出格子から表の通りば見よんなさったげなりゃ向えの酒屋で、ホ ーロク売りどんが、角打ちしながら、話しよるげなもん、「馬鹿車くさい、あの馬鹿車に乗っ て、国分ん真藤ん旦那んどんの、川ん中けあえこうで、怪我さしたげなたい…」ち、その頃 は世聞じゃあの自転車のこつば馬鹿車ち云よったたい。ガターガターひっくり返るもんじゃ けんの。 あたしどんが女学校の本科の頃じゃっつろか、もう今んごたる自転車の出て、常寛さんの 久留米じゃ一番じゃっつろ、上方から取り寄せて、乗り初めなさった。女学校の前の道ば乗 っておいりよると、輪のひのあし(幅)に朝日の当って、キラキラキラほんに美しう光るとの 教室から見ゆるけん、ほー美しさよち云うて見よったたい。文明開化ち云うとば、目の前に 見せつけられるる気持のして、今のマイカーの美しかつ見せらるるどこのさわぎじゃなかっ たたいその頃は。 |