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    義源公のこと
   
  ほんにあげなお方達ゃ安心してご飯上がるこつもでけんの。義源公(頼永)も反対派から毒 殺さりうでちしなさったげな。毒の入っとるこつ知っとんなさったお方の、お膳ばちょいと 引繰り返したごつして、おごちそうば踏み散らかして仕舞いなさったげな。そっで義源公は 助かんなさったげなばってん、そのお膳ば引繰り返したお方はご一新後まで、牢屋に入っと んなさったげなたい。まあだ義源公が若殿様の頃げなもん。

  なんじゃかんじゃそげなふうで危なかもんじゃけん、いっときゃ義源公も馬鹿ん真似しと んなさったこつもあったげな。義源公の御先代の月船公(大良公頼徳)ちゃ、そーな贅沢なお 方じゃったげなけん、義源公の殿様になんなさったときゃ、お金蔵には、もういっちょんお 金はなかったげな。上方の御用商人達も、もう一文でん藩に御用だてはせんち云うごつなっ とったげなたい。

そっでご大倹のお布令ば出して、ご自分が一番に木綿の着物お召しなって、、みんな絹は一 切出けんごつなるし、ほかんこつでんなんでん、五年間始末(倹約)して、ようよう久留米藩 の財政の建て直しん出けたげな。ほんに偉かお方じゃったげな。佐賀の閑叟公ととてもお仲 よしで、ようお二人で色々お話んありょったげな、そして閑叟公の「なんの久留米の城は旭 山から大砲(おおづつ)打ちこうですぐ落してみする」ちご冗談仰しゃってお笑いなりよった げな。

もういっとき義源公に長生きしとって頂いたなら久留米藩もよかっつろうにち、みんな後後 の者ん迄も云よったたい。あんまり若うしておかくれたもんじゃけん、うちばもめばかりし て、久留米藩なすったりになったったい。


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