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    頼萬様と頼寧様
   
  頼萬様は頼咸公の何番目かのお子様じゃったげなが、お兄様がご病気のあんなさったてろ で、頼萬様がご家ば継ぎなさったっげな。

  奥方は岩倉公のお姫様じゃったばってん、頼萬様があげな風であんなさったけん、とうと う、岩倉さんから奥方ば取り上げてしまいなさったげな。奥方はなかなか出来るお方じゃっ たげなけん、頼寧様がありだけ立派になんなさったじゃろ。

  明治四十三年四月じゃったか女学校に頼萬様のおいでになって、何かお読みなったりゃ、 なんじゃり甘え口んごたるふうで「余が欽快とするところなり……」とかなんとか仰しゃっ たばってん、ほんにおかしうして、みんな笑うめでちふとか目逢うた。来とった人達もみん なおかしかごたるふうで「奥さんにどん読み方習はっしゃりゃよかたい」ち云よった。そん ときゃ前の奥方じゃなし、後の奥方じやった。あたしだん同窓会員で行っとったたい。

  其後おかねしやんの女学校頃じゃったごつ話しよんなさったが、頼寧様の女学校においで になって、何か講演なさったげなたい。ところが其お話しの内容は新知識でお話し振りと云 い何と云いなかなかご立派なもんじゃったげなたい。そっで旧藩士の細見校長先生教頭(後校 長)の武藤直治先生、黒岩万次郎先生たちが、ほーんに感激して、涙流して、手取り合うて、 こっで久留米も安心ち云うて喜び合いなさったげな。其頃までは、昔の気風の残っとったけ ん、よか殿様のおあと継ぎのでけなさったけんそげんあっつろたいの。   


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