SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語


    お江戸行き騒動
   
  殿様のお供して、お江戸に行くときゃ、かねて子供の時からの躾で、普通の家中のもんな そげなこつはなかったげなばってん、奉公人てんなんてん軽輩のもんな、お江戸さん死にば し行くごつ家族の者が、取り縋って泣いたり、わめいたり、どんこんならじゃったげなけん、 お江戸さん行く者んなちゃんと草鞋はいて、身拵えして坐っとるげなもん、そしてみんなし て唄うたり、飲うだり、ドンドンチャンチャン賑やかして、わあわあ騒ぎよるとば見計ろう て、すうっと抜け出して、行きよったげなたい。

  筑前領さん入って、山越えして、豊前さん出りょったげなが、山越する時見国峠ちあるげ な、そこから後振り返って、いよいよこりがお国(筑後国)の見納めち云うて、気の弱か者ん な涙流して行きょったげな。そっで見国峠ち云うち云よったが、どうじゃりの。帰って来る 時もあすこ迄来ると、ようようお国に帰って来たちゅう気のしてほっとしょったげなたい。 豊前の大里から船で大阪さん行きょったげな。その方が便利じゃったげなもん、山陽道ば 行くよりも。そっで藩じゃ、大里の方の殿様に相談して、大里にお船手の者と船ばかねて置 いてありょったげな。

  初手はお江戸立てん、遠国に行くときゃ、お見立てお膳に、大根てん何てんのお膾ば、お 皿に山盛りしてその上、きこく、(からたち、げずの木)と、男松の枝ば突き刺して据ゆると が、一般の侍の家の慣はしじゃったげな。戦争に行くときゃ、それカチ栗ば添えよったげな。 キコク(帰国)おマツ(待)ち云うて、勝つごっち云う縁起物たい。お祖父っつあんの、ご一 新のときお江戸に立ちなさったときも、キコクと男松とカチグリば据えなさったげな。こん どの戦争中も兵隊さんたちが、うちへんに宿しとって、戦地に立った朝はそげんしてお見立 のお膳ば据えたたい。


前のお話へ  戻る      次へ  次のお話へ