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    よか伯母さん
   
  健之丞伯父っつぁんのお婦貴伯母さんなほんによか伯母さんじゃった。
  始め健之丞さんのお婦貴さんば山本からもらいうけなさる時ゃ、親類どうしのけん直接、 自分でご相談においりよった風じゃん。やっぱちょいと恥かしかか何かで、其頃まあだこまか ったおっ母さんの手ば引いてよう連れておいりょったげな。その頃お婦貴さんなまあだご殿 に上っとんなさったけん、ご殿から下がったならよかち云うこつで、何年か待っとんなさっ たげなたい。

  お婦貴さんなお姑さんともとても仲のよかったもんの。 身体の弱うあんなさったけん大 方はおしずまっとった。胃がどうもようあんなさらんち云うこつで、いつか山本の作之進さ んの久留米の市病院に連れて診察にお入ったげなりゃ、電報の岡野さん来たげな「クエバヤ マイナシ」ち云う電文じゃったげな。

行徳病院ち日吉町に胃腸専門の病院のあったけん入院しなさった。胃腸はどーもなかばって ん、食べたなら悪かろごつばっかりあって上がらんけん、なを胃腸の働きの悪うなっとると じゃったげな。「病院から上ぐるしこはぜひ上がらにゃならん」ち、お医者さんの云いつけ で、恐わ恐わあがりよったげな。

そりから大分ようなって病院の近所どん散歩しなさるごつなんなさったげなけん、もう帰ろ ごたるち、仰しゃるげなもん、家のこつが気がかりで年寄りのおっ母さんばいつまっでん、 放うからかして、どうしておらりゅうにち云うて、とうとうおけえったもんじゃけん、また だーんだん悪うなんなさったたい。

  おともち女のおったつの「奥様も奥様なら、旦那んさまも旦那んさま」ち云うてよう感心 して話しよったが、役場に朝出ておいっときゃ「行って来るばい」ちおっしやっと、奥さん な、そげな風でおしづまっとるばってん「行っておいりまっせ」ちお見送りしなさるし、帰 っておいると「いま、帰ったばい」ち必ず挨拶しなさっと「お帰んなさいまっせ、お疲れで ございまっしゅ」ち云うご挨拶か何十年の間一ぺんも欠かしなさったこつもなしに、ほんに 夫婦の仲も美しかもんじゃったげな。

  伯父っつぁんな村長やめなさったのち、長男の定しゃんの旅順の工科学堂の教授ばしとん なさったけん、もうお婦貴さんもおかくれとったし、いっとき定しゃんのとこさんおいった ばってん、やっば内地がよかち云うて、いっときして帰っておいつて、二女の倉富のますし ゃんのとこにおいっとったたい。長女のしなしゃんな、あたしよりずーっと年の多かった。

あたしがまあだこーまか時与子田の教行さんにおいって、早ようのうなんなさったけん、よ うとは憶えちやおらんばってん、やーさしか人柄じゃったごつ思うたい。与子田は其頃東久 留米の八ッ墓の梅野の近所に居んなさった。あの辺なその頃は、東と南の方はなーにん無か 田畑ばーっかりで遠うまでよう見晴しのきくとこじゃったこつばかすかにおぽえとる。


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