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    良右衛門
   
  良右衛門さんな、子供の頃から実父の実家の山本姓ば名乗って、山本孝吉ち云よんなさって、 元服して、山本喜兵衛恭平ちなっとんなさって、佐太夫さんのご養子なって、真藤三代目にな り、節右衛門泰平ちなり、年奇って、又改めて良右衛門泰平ち成んなさったっげな。

  良右衛門さんな佐太夫さんと、石田の厄介になっとんなさったげな。厄介(やっけ)ちゃ、 親族の者ば、その家の家族待遇にするとげな。そして、ご一新迄、ずーっと馬廻組の石田の家 族としての待遇じゃったげな。いつか、山本の常寛さんの「真藤は石田の厄介でパリパリじゃった たい」ち冗談仰しゃったこつんあったが、あたしゃ、厄介者のごつして何じゃり好かんばってん。

  良右衛門さん達ゃ、五節句てん殿様んお国入りんごたるときゃ登城しょんなさったげな。家 中厄介(かちゅうやっけ)でお目見得ち云う身分じゃったげな。

  良右衛門さんな初め半井の親類の櫛原に居んなさる家中の田中ち言うとこから奥さんよびな さったげな。何人か子供ん生れなさったばってん、一人だけ育ちなさってあとは子供のうち失 うなんなさった。育ちなさったつが雄蔵さんたい。

  田中からおいった奥さん失いなさったけんこんだ、通町九丁目の太田平右衛門さんの妹ごば 貰いなさった。ほんとうは平右衛門さん妹の娘ごで久留米家中の加藤富冶さんの娘ごばってん、 伯父っつぁんの平右衛門さんの妹分としておいったっげな。良右衛門さんとはふた従妹(いと こ)たい。ところがそのお方も子供なしで、一年ばっかりでおかくれた。そっで三番目に従妹 のお栄(ハエ)さんば貰いなさったつたい。

  おハエさんな山本善次郎さんの娘ごで、善次郎さんと草場からおいった後よりの奥さんとの 間に出けなさったったい。ご器量の好うなかったけん、売れ残りちゅうか婚期のおくれとんな さったげな。三度目じゃあるし、良かたいち云うとこで貰いなさったっげな。おハエさんに出 来なさったつが石原においったおヨリさんと、重三郎さん、こりがあたしのお祖父っつぁんたい。

  真藤四代目雄蔵さんな、上古賀の倉富又右衛門さんの娘ごばよびなさった。雄蔵さんとはい とこ同志で、雄蔵さんにゃ叔父っつぁんの重三郎さんより年上のお子さん達のあったげなけん、 おハエさんの「大方、重三郎は甥の脛かじりどんじゃろたい」ち仰しゃりょったげなが、その お子さん達がみーんな早う逝ってしまいなさって、雄蔵さんまで、三十六才で、天保十年にお かくれたげなたい。

雄蔵さんな諱は泰春ち云よんなさって。お父っつあんの年寄んなさって、家のこつは何でん雄 蔵さんの切り盛りしよんなさったふうじゃん。 雄蔵さんのおんなさった頃にゃ村内てん蜷川 あたりにも、どりしこか田畑のふえとったらしかたい。

  そっで雄蔵さんの奥さんな、お子さん無しの後家さんになんなさったけん、姑のおハエさん の、お里の上古賀にご相談も何ひとつせんで、その後家さんば肥前の田代の荒木ち云う家に縁 づかせて仕舞いなさってげなけん、上古賀じゃ腹かきなさったち云うこつじゃった。

  良右衛門さんな母方の祖父の石原小兵衛(石原家記著者)さんてん叔父っつぁんの太田九衛門 さん、そのご養婿のいとこ半の太田平右衛門さんてん、その頃の久留米の文化人達じゃったお 方たちの影響で文学にも趣味のあんなさったふうで、種々な写本ばしたり、短歌作ったりもし とんなさるごたる。弓術も上手じゃったげな。大体無口で、ちょこまか動きなさらんお方じゃっ たらしうして、親族うちのお方達の「近頃どうしょんなさるの」ち聞きなさっと「めしどん食 よる」ちどん返事しよんなさったげな。


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