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    日奈久温泉
   
  おまきしゃん方(がた)の、女学校卒業して、補修科一年すましなさった春じゃったごたる。 山本に行っとったりゃ、日奈久に入湯にお入るごつなって、あたしにもおいらんかち誘いなさ るけん、家に帰って話したりゃ、よかたいち云うて、十円な旅費に山本におあづけしとくごつ ち、ほかに小づかいにちまた十円、二十円もいただいたけんうっれしうなって、古るか小まか カバンのあったつに着換えてん、湯上りのおろよかつばってん、サッサと結め込うで、つんぐ り返し、又山本さん行ったりゃ、「はーもう用意しておいったの」ち、びっくりしとんなさる もん、ちょーいと帰って来たもんじゃけん。あのお方達ゃ、ネルで湯上りば縫よんなさるとこ じゃった。翌々日ぐらい朝立ちして、八代まで汽車に乗って行った。

  汽車もその頃はあすこまでじゃったごたる。何せ人数の多かけん、一ぺんにみんな乗るしこ 車の揃おうかち云よったりゃ、やっぱ七台しか間に合わんもん。そっで一連れは七台に乗って 球磨川ば車ぐるめ船で渡った。常寛さん方は後連れで、橋のあるとこば通っておいったげな。 行った者な、おのぶばばさん、常寛さん、お節さん、吉武の分家の万のおっつぁん、おみきしゃ ん、おまきしゃん、おつたしゃん、おかねしゃん、あたし、に女中、十人たい。

  宿に着いたつは暮れぐれじゃったたい。海辺の柳屋新宅ち云う新築の家じゃった。さっぱり して気持のよか宿じゃった。そりが面白かもんの、その頃あの辺などげんよか宿でん、木賃宿 じゃったげな。着いたりゃすぐ女中が一抱えばかりの米櫃ば持って来て、床の間に据ゆるもん、 そしてご飯炊くたびに、じようけ(笊)持って米て、どりしこ炊くかお伺い立つるけん、何合 ち云うと米櫃から米ば計って、しようけに入れて行って、ご飯の出くっと炊き立てばお櫃に入 れて、ちょうど云うた通りのご飯ば持って来るもん。

お菜も何と何ち云うと、その通り作ってくるし、お客のいろいろお魚てん買うて来て、お吸物 てんフライてんち云うと、その通りして来よった。物売りも宿の中庭までふれ売りに来るたい。 夏豆てん何てん荷のうて。そりばお客は買うたい。

  毎日お魚ん浜に揚がっと、土地の者てん、お客てん買い来て、すぐ売れてしまよったたい。 宿の二階からすぐそこの見ゆるもん。ピンピンはねよるお魚てん見たこつのなかったもんじゃ けん珍らしうして、みんな毎日そこから見たり買い行ったりしよった。いつか見よったりゃ、 大ーっか章魚の買われて、めごに荷なわれて行きよるもん、こー天秤棒に手ば掛けたごつして、 ぽんち絵(漫画)んごたったたい。

  人間ちゃ、おかしなもんで、そのころはもう久留米へんも生の海魚の出るごつなっとったが、 古うるかったい。その古るかつば、かねては食べよっとにくさい、海辺で新しかお魚食ぶるご つなっと、売れ残って死んだりしたお魚ば時に人の買うて行きょっと見っと、「あらーあの人 は死んだつどん買うて行きょる」ち云うて、見よったたい。十四日どんしか居らじゃったつに。

  この宿は何せ新しかったけんでもあろが、清潔で、上客も下客も、食器でんお櫃でん同じも んじゃった。お台所の広かたたきに、ずーっと棚作ってそこに大っかつ、小まかつ、おひつて んば、いーっぱい置いてあるとの皆同じもんじゃった。

  布団も新しうはあるが、みんな絣の布団じゃった。さっぱりして気持のよかったたい。
  同じ宿に柳川のご家老さんじゃった小野さんのご夫婦でおいっとった。お女中連れて、奥さ んな立花さんのお姫さんち云うこつじゃった。二階の上り降りにも、やっぱちゃーんと、お女 中が手ば添えて上げよったたい。

何せ若か娘の何人もおるもんじゃけん、小野さんのそのお姫さんのお布団も、やっぱ、絣じゃ かの、ち云うこつに成って、みんなで廊下ば通りながら横目で窺うて行ったりゃ、やっぱ絣の 布団ば畳うであったつの見えたたい。そげなふうで、上客下客の差別のなし、ほんによか宿じゃった。

  お湯はどこからか引いてあるごたった。沸しょったじゃり、どうじゃったじゃり、毎朝お風 呂場のお掃除のあって、お湯の入れ替えのありょった。

  後で高崎新兵衛さんも鏡屋ち云うとに来てあった。そこが定宿らしかった。富士松紫幸もほ かの宿に来て、土地の座頭ば入湯見舞ち云うて、私どんのとこにやったたい。ほーんにひどか ドモリで、あたり前にゃ話しん出来んとが、琵琶てん楽器持っと、どもるどころか、どげなチャ りでん語るとじゃん、不思議じゃったばい。

  近かったけん、こうだ焼の窯元ば見げ行った。あンまり大きうなか工場で、藁葺屋根じゃっ た。藪どんがあって。抹茶茶碗どん買うて来たたい、稽古用の。よかもん買うしこ小づかゃなかもんじゃけん。

  何でん彼んでん、珍しかったり、面白かったりで、ひとーつん退屈するひまだんなかったた い。ちょうどよか同志、寄っとるもんじゃけん、お湯行もあのときが一番面白かったたい。皆 で写真もうつったばってん、もう色のあせてようわからんごつなっとるもん。日奈久の景色の 写真なそん時買うて未たったい。今の絵葉書たい。


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