SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語


    父の発病
   
  そのうち、お父っちゃまは、東京の高等工業に行きたかち云出しなさったけん、お父っつぁん も行ってよかたいち許しなさったけん、勉強どんが始まっとったが、中山石庭さんにお父っちゃ まの墨色(墨色占い)見て貰うて、相談しなさったりゃ、行くとはよかばってん、行ったっちゃ すぐ帰って来にゃんばいち云いなさったげな。その年の末頃に一夫が生れたけん、お父っつぁ んも上御機嫌じゃったたい。

  翌年五月のお節句も大さわぎで済んで、こっで、どうやらうちも落着こうごつ思よったりゃ、 夏にお父っつぁんの風邪こじらせて何時まっでん快(よ)うなんなさらんけん。ハンモックに どん乗ってブラブラ揺っと、気持ん好かけんち、そげん揺ったりしなさったつも尚悪かったげ なが、うちぢゃどうしてん我儘ん出たり、お客さんてんで落着いて養生ん出けんけん入院した がよかろで、自分からトコトコ歩いて、久留米の市病院に入院しなさったたい。

大体お父っつぁんな、二十代に肋膜炎しなさった事んあってからが、風邪引くとどうしてん、 長びきょったたい。そっでこんども何時もん調子ぐらい自分も考えとんなさる風じゃったし、 あたしどんもそげん思とったたい。

  お父っつぁんの入院しとんなさる頃、一夫が晩ほんに泣くもん。どうしてじゃりち思うたりゃ 脱腸じゃったげなけん、お父っつぁんと一緒に入院したりゃ、こりゃ一晩、二晩で快うなった。

  そののちお父っつぁんも、もう快かけんち先生の云いなさるけん帰るばっかりにしとったりゃ、 よる寝台から布団ふみ落として眠っとんなさったけん、また風邪引きなさってからが、こんど は、本調子なって、なかなか快うならんもん、結核じゃろかち先生に聞きゃ、結核じゃなか、 肋膜炎たいち云う言いごつじゃん。

ほーんに大っか咳ばしょんなさったもん。とうとう仕舞にゃお父っつぁんの方が根気まけして、 四十三年の春にうちさん帰るち云い出しなさったたい。先生も、どうせむつかしかけんち、思 うとんなさっつろたい、帰ってよかたいち云いなさったけん、花ん咲いとる時分、いまんごつ 救急車てん、病院車は無かもんじゃけん、戸板に布団ごとやすませて。

出入りん者達の中吊って野中道通って帰って来なさった。帰りがけ道端で、花のこーう道に差 しかかって咲いとったげなけんで、途中で花見どんして来なさったげな、花の下に戸板どん降 して…。
そのころの道端はゆっくりしたこつじゃったけんの。

  そしてうちで寝台にどん休んで養生しょんなさったたい。結核どんならこまか子供も居るし、 ちゃんと用心せにゃんけんち、また先生に尋ねたばってん、そげな事じゃなかけん、心配ゃい らんち云うこっじゃけん、一夫がようお父っつぁんのとこに行って遊ぶばってん別にどうち、 用心もしよらじゃった。結核ちゃ今とちごて、その頃までは不治の病てろで、えすがっとった 上、遺伝病のごつ世間じゃ考えとったけん、先生もほんなこつ云うとば遠慮しとんなさったじゃ ろばってん、死亡診断書にゃ肺結核ちしてあったたい。

そっで先生は結核じゃなかち云いなさったじゃなかのちお父っちゃまん云いなさったけん、ま た肋膜炎てろち書き直してやんなさった。書き直してもろたけんち実際の変るわけでんなかっ つろばってんの。



前のお話へ  戻る      次へ  次のお話へ