天皇と和歌                                                      


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 上陽町の歴史

 大伴部博麻

 白村江の戦い

 斎明天皇

 
     

 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今は漕ぎ出でな 
                                                    (作者 額田王)

661年 斎明天皇は百済を救援するため、九州へ向かう途中、
熟田津(愛媛県松山市)に滞在していました。

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、額田王(ぬかたのおおきみ)たちも
一緒だったそうです。

潮も満ちて来て出航できるようになり「さあ筑紫へ向けて出発しよう!」
と言う時のようすを詠んだ歌


 秋の田のかりほの庵のとまをあらみわがころもでは露にぬれつゝ
 
                                               (作者 天智天皇)

天智天皇(中大兄皇子)が、収穫期の農民の苦労を思いやって詠んだ歌

刈り取った稲の番をする小屋にいると、屋根を葺いた苫の目が荒いので、
私の着物の袖は、夜露にしっとり濡れ続けるよ。

中大兄皇子とよばれた皇太子時代に、中臣鎌足とともに蘇我氏を滅ぼし、大化の改新
を行った。



 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
 
                                    (作者 持統天皇)

春が過ぎて、いつのまにか夏がやってきたようだ。

夏になると白い衣を干すという天の香具山に、あんなに真っ白い衣が干してある。

作者は天智天皇の第二皇女で、天武天皇の皇后だった。

天武天皇の崩御の跡、即位して藤原京を作った。

参考資料  よくわかる百人一首(監修 中村菊一郎氏)