遺    跡
下高橋官衙遺跡 国史跡。奈良時代の郡役所跡。

下高橋官衙遺跡の推定復元図
(写真)大刀洗町役場のホームページ
下高橋遺跡は平成10年1月「国史跡 下高橋官衙(かんが)遺跡」として指定されました。下高橋遺跡の最も重要とされるのは奈良時代の郡役所跡ということで指定名称に官衙=役所の名が付け加えられたわけです。
下高橋遺跡の最も華やかな時代は奈良時代です。下高橋遺跡では、当時の「税」である「米」を納めた『正倉院』と考えられる西側の「上野遺跡」と、政務やセレモニーを行った『郡庁院』と考えられる東側の「馬屋元遺跡」の大きく二つに分けられます。 上野遺跡の建物「正倉」 上野遺跡は倉庫と考えられる高床式建物に性格が特徴付けられます。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページから抜粋

本郷畑築地遺跡 弥生時代の終わりから古墳時代初めの大集落遺跡。
ホームページに写真なし 所在地
  福岡県三井郡大刀洗町大字本郷
  
内容
  弥生時代前期の貯蔵穴(穴倉)約300。弥生時代の終わりから古墳時代初めの竪穴住居跡が約150棟以上の大集落遺跡です。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページ

本郷野開遺跡・本郷鶯塚1号墳 弥生時代後期と奈良時代の集落遺跡。
ホームページに写真なし 所在地
  福岡県三井郡大刀洗町大字本郷
  
内容
  弥生時代後期と奈良時代の集落が発見されました。また、石蓋土壙墓の1は土器を副葬するなど朝鮮に見られる形態があります。本郷鶯塚1号墳は平面形が「長靴型」の石室の形をもち、独特な性格がみられます。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページ

甲条神社遺跡 神社境内から人骨とともに甕棺墓(かめかんぼ)が出土。

甕棺墓人骨出土状況

所在地
   福岡県三井郡大刀洗町大字甲条字西屋敷
  
内容
 甲条神社遺跡は南側の水田より6メートルほど高い丘の端にあります。このような小高い丘が続く地形は小郡市干潟付近から大刀洗町本郷付近まで見られます。
  甲条神社遺跡は、かなり以前から甕棺墓(かめかんぼ)・石棺墓(せっかんぼ)があることが分かっていました。昭和53(1978)年には、神社境内から人骨とともに甕棺墓が出土しました。 平成5(1993)年・平成10(1998)年大刀洗町教育委員会が神社の北側・西側を発掘調査した結果
   縄文時代(今から約2400年以上前)落とし穴状土坑
   弥生時代(今から約2100年前〜2000年前)甕棺墓・木棺墓(もっかんぼ)・大溝・土壙墓(どこうぼ){素掘りの墓穴}祭祀土坑(さいしどこう)・石棺墓などが確認され、甕棺墓・土壙墓・石棺墓群が神社境内を中心に広がっていることがわかりました。土壙墓のひとつからは、ガラス製の小玉(粟玉)が334個出土し、石棺墓のひとつからは碧玉製のくだたま管玉が36個出土するなど、この時期の墳墓としては副葬品出土の比率が高いようです。
 甲条神社遺跡のような弥生時代の遺跡は、本郷・甲条・高樋に多くみられ、弥生時代からこの地が人々にとって暮らしやすい場所であったことがうかがえます。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページ

甲条北松木遺跡 弥生時代から古墳時代に各種の墓が造られた。
所在地
  福岡県三井郡大刀洗町大字甲条
  
内容
  弥生時代から古墳時代までの各種の墓がつくられています。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページ

西森田遺跡 朝鮮とのつながりを示す貴重な遺跡。

出土百済製の土器
所在地
  福岡県三井郡大刀洗町大字本郷
  
内容
  弥生時代の終わりから古墳時代初めの竪穴住居や古墳時代前半の溝などが発見されました。古墳時代の溝からは初期須恵器や百済製の土器も出土され、朝鮮とのつながりを示す貴重な遺跡です。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページ

高樋小道遺跡 弥生時代末から古墳時代初期の大溝が発見された

所在地
  福岡県三井郡大刀洗町大字高樋
  
内容
   弥生時代末から古墳時代初期の大溝が発見されました。環濠集落をつくる溝か?大集落がこの付近に想定されます。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページ

   

高樋塚添遺跡 弥生時代の中期前半の典型的な墓地。

所在地
  福岡県三井郡大刀洗町大字高樋
  
内容
  弥生時代の中期前半の土壙墓や甕棺墓が列をなして発見されました。この時期の典型的な墓地です。
(説明欄)大刀洗町役場のホームページ


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