南北朝のころ、征西将軍懐良(かねなが)親王は、菊池武光らとともに少弐・大友軍と拮坑、筑後川を渡り激戦を
展開した。世にいう大保原合戦、両軍の戦死者5,400人を下らないという。
懐良親王は、馬は射倒され、身に3カ所深手を受けられたが、南朝方の士気天を衝き、大勝利のうちに終わった。
その後、親王の戦傷は思いのほか深く、回復が容易でなかったが、大中臣神社のご加護によって全快する
ことができた。その折、献納の藤の木を手植えにしたという故事によるものである。
今は、推定樹齢約600年、根元周囲3メートル、県指定天然記念物98号に指定されている。
開花時の藤棚は
1メートルに及ぶ花が垂れ下がり、道行く人々の心が潤い、実に優雅であり壮観でもある。
花の見ごろは4月下旬〜5月上旬。この時期になると将軍藤のある大中臣神社の境内は、花見客でにぎわう。
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