村の活性化を図るために計画されたのが、国土庁の事業である「リフレッシュふるさと推進モデル事業」であった。この事業は過疎化地域の魅力、特性である自然を生かすとともに、地域のイメージアップを考えた村と山林の交流事業で、九州で二ヶ所が指定されることになっていた。この指定を受けるため、用地買収の交渉などを行い、その結果昭和六十二年半ばに指定を受け、北矢部字本川内に建設することになったのである。