はじめに

ふるさと徳童は、筑後川中流南岸、福岡県浮羽郡田主丸町に在る、戸数五十に満たない小さな集落であります。
私は歳を重ねるにつれて、生れ育った故郷が懐かしく知りたいと、思うようになりました。
 先ずは、郷土の山や川の生い立ちですが、これは私の力の及ぶところでありませんので、田主丸町誌と吉井町誌を紹介さして戴きます。
 徳童は、千数百年も昔に人々が村を興し、今にその面影を残していますので、よい故郷に生れたものだと、有難く思っております。
 隅墓地にある菊竹家の先祖の墓に参って、今から六百何十年も昔に、亡くなられた始祖菊竹茂手木公夫妻と、帰一自雲知性禅定尼の時代を考えると、当時この地方には、南北朝の激しい戦いが続いておりました。
 この戦いで菊竹茂手木公は、南朝のため懸命に働かれております、この精神は娘禅定尼が受継がれ、禅定尼もまた一生を自分の信ずる戦没遺族慰霊の旅に捧げています。私は二人の逞しい精神力と困難に怯まぬ行動力に、感動いたします。

 さて、茂手木公の没された後、徳童を後に各地に活躍されている方々を訪ねて、お話を伺いたいと思いますが、長い時の流れの壁は厚く、資料も散り失せ、訪ねる伝さえ無くなって、出来ないのが残念であります。
 今、先祖墓の基壇に残っている方々の消息さえ薄れて、故人に聞いておけばよかったと、惜しまれる思い頻りの昨今であります。
 そこで手許に残っている記録から、一族をお訪ねしてお話を伺い、漸くここまで纏める事ができました。
 この処歳を重ねた筆者ですので、筆足らずの処や勘違いの箇所など、あるかと思いますが、どうかご寛容賜りますようお願いいたします。

                                           菊竹 武

ふるさと徳童*目次

ふるさとの山と川
 耳納山地と筑後平野
 筑後川と三津留川  
 耳納山と巨瀬川と山汐
 山汐菜

百済救援と朝倉遷都
 朝倉の橘の広庭宮
 木の丸殿
 百済救援の戦い
 大伴部博麻

扉風山清水寺と徳童
 屏風山清水寺
 厳浄寺「観世音之縁起」と
徳童観音堂
 法音寺と観音堂の「よど」

徳童という地名
 地名の初見と経過
 町村合併

徳童、法音寺と天満宮
 大悲山法音寺
 観音堂
 天満宮と秋葉様
 天満宮の祭礼と宮座
 新しい天満神杜
 近郷の天満宮

菊池武重と菊竹茂手木
 菊池武重
 菊竹茂手木、徳童に入る
 武重、上筑後に戦う
 禅師大智と武重
 九州探題一色範氏
 菊池武敏
 玖珠城主大友貞順
 菊池武光と菊池本城の変
 菊竹茂手木斃る

禅定尼と比丘尼滋春
 禅定尼
 禅定尼と上筑後の戦い
 禅定尼と大智
 禅定尼の弔問の旅
 父茂手木を喪う
 比丘尼滋春

中世、周辺の群雄たち

 肥前の竜造寺氏
 大宰府の少弐氏
 中国の大内氏
 将軍義植、追放さる
 大内義興、義植を将軍に復職
 筑後動乱と竜造寺胤知
 筑後動乱後の上筑後

徳童往遠造出工事
 巡見使
 往還造出工事





関連年表

著者許諾済  作成 須佐卓郎  監修 渡邊正義