古代になると、日本書紀の中にはじめて八女の地名が見える。 景行天皇(大足彦忍代別尊)が八女の県に巡幸されたとき、「東の山々は幾重にも重なってまことに美しい。あの山にたれか住んでいるか」と尋ねられた。その時、水沼の県主「猿大海」が「山中に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と答えたことが記録されている。これから八女の地名がおこったといわれている。